保育園という職場で「保育士ではない自分」にどう向き合えばいいのか
保育園事務の仕事をしていると感じる立場の“曖昧さ”。保育士でも看護師でも栄養士でもない。園の中で唯一資格を持っていない存在。そんな私がどこまで意見を言っていいのか、いつも迷いが生じます。
保育関連無資格で保育園事務の職に就き、もうすぐ12年目になろうとしている私が作り上げてきた自分の立場と居場所について振り返ってみます。
保育士たちの愚痴に、共感はしても同調はしない
女性の多い職場という特性もあり、ただただ同調しながら一緒に愚痴ってほしいという時もあるでしょう。時と場合によって対応を使い分けますが、自分の対応ミスによって事態が余計に絡まる事にならないよう防がないとなりません。
誰が正しいかではなく、何が正しいかという視点で話すように心がけています。
内部の人間でありながら、踏み込みきれない
状況を見ていて「それはおかしいよね」と思う事も多々あります。もっとちゃんとやって欲しいと思うことも。それでもこの立場から意見をすることは躊躇ってしまう…どこかで”資格を持っていない(≡専門知識のない)自分”を意識してしまっているのでしょう。保育についての意見は特に伝えづらく、どうしても伝えたいことがある時は、保護者視点での意見として聞いてもらうようにしています。
逆に私自身も、気軽に話せる同僚がほしい日もあります。園に事務員は“ひとり”。保育中の先生たちは忙しく、事務の仕事の悩みになど気付くことはありません。ねぇねぇ聞いてよ…なんて話しかけるのも憚られる日々。同じ業務をしていないから、悩みを理解してもらうのも難しいのです。
“なんとかしたいのに、できない”苦しさ
園内の空気が悪くなっているとき、明らかにひとりの職員の言動でまわりが疲弊しているとき。私はそれを見ているだけしかできないもどかしさを感じることも度々。
保育士さんたちはそれぞれの保育観があり、想いが強い分、人によってはなかなか譲れなくなってしまうこともあります。プライドを持って保育にあたってくれているので潰したくはない、でも「俯瞰するとちょっと違う気がするよ?」を本当は伝えたいのです。
保育士資格を取れば、解決するのか?
この環境を変えたい。子どもたちにとってもっと良い保育をしたい。そんな思いから、何度か「保育士資格を取ろうか」と思ったこともあります。
なにより、保育士資格を持った事務員になったらその後の報われない日々は目に見えています。給与・待遇は事務員のまま、人手が足りない時に都合よく保育に駆り出される。そのうち保育補助が本業かのように合間を見て事務処理をする構図が目に浮かびます。役に立てるなら嬉しいと思う反面、それは自分を安売りすることと同じ。契約は給与の安い事務員、実際は保育の一人区。きっと当事者の私しかその矛盾には気づけず、1人でモヤモヤする日々が増えるだけなのです。
私は、保育士の世界には入りたくない。ここから見えることで支えたい。だからこそ、外からの視点を持ち続けたいと思っています。
保育園の悩みは「人」ではなく「仕組み」から
私はいつも「問題の本質は“人”じゃなく“仕組み”」だと考えています。保育園がもっと働きやすくなるには、現場の善意や我慢ではなく、制度や仕組みの改善が必要です。
誰かがミスをするなら、ミスが起こらない仕組みを考えてあげること。何かを負担に思う人がいるなら、それを軽くできる仕組みを作ること。
実際、職員の入退職が激しく園内の決まり事が定着しないことで起こる小さなトラブルの改善に向け、園独自のルールブックを作りました。「こんな時はどうするんだっけ?」という、何度も聞きづらいような些細なことも盛り込み、働く職員みんなにやさしい職場作りをしたいという思いで作り上げました。
また、職員個人の特性にも着目し、「その人が悪い」のではなく「その人の特性に合っていない」という見方ができるよう、運営チームの中で繰り返し提言しました。
保育の中身については意見できなくても、外堀を埋めることで保育をしやすい環境にしていく。その視点を伝えることこそ、私にできる役割だという考えにたどり着きました。
誰かを責めるのではなく、俯瞰して構造を見つめる。それが、私という“事務”の在り方です。ときに孤独に感じることもありますが、園をもっと良くしたい!という思いが消えないうちは、ここで出来ることがまだあるのだと思って取り組みたいと思っています。

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