「自分ファースト」になれない自分
自分ファーストって?
「自分ファースト」ってどんなイメージですか?
「自分ファースト」は自分を最優先にする生き方のことですが、最優先といっても「自分勝手」や「自己中」などのワガママなイメージとは少し違うと思っています。
他人の顔色を伺って行動を決めたり、自分の気持ちを曲げて誰かに合わせたり。
そうやって、自分ではない誰かのことを意識しすぎるのをやめる事ではないでしょうか。
相手に合わせている生き方に気づかなかった自分
「相手ファースト」な私の生活は、幼少期から続いてきました。母親に嫌われる不安と恐怖から始まったんじゃないかと感じています。
辛くなったときに話を聞いてもらう友人からよく言われた「無理しすぎだよ」という言葉の意味が、私には全然わかっていませんでした。
たしかに私、なんでなのかすごく大変なんだけど…でもちょっと無理すればだいたいの事は済んで周りも機嫌がいい…
だからこうするのが一番だよね?みんなもそうでしょ?と漠然と思っていたのです。
でも…どんなにみんなに合わせて頑張ってもいつまで経ってもつらい( ;∀;)
一方、そんなふうに言ってくれた友人は、見ていてとても自然体。
今思えば「自分ファースト」ができていたんですね。自分の考えがちゃんとあって、それを嫌味なく発して、ただただ彼女の言動はわかりやすくて清々しい。
あなたはどうしたいの?
しんどいと伝える私に友人はいつも「haRu*はどうしたいの?」という言葉を掛けてくれました。友人の言う「無理しすぎ」は、「他人に合わせすぎ」という意味だった…何年も経った今、やっとそれが理解できました。
たとえば目の前にいる二人が違う希望をそれぞれ言い出したら、どちらにも快適な答えを探して私は翻弄していました。そこに自分はいなくて。
そんな事が続くうち、疲れ果てました。私のことは一体誰が気にしてくれるんだろう?
でも、自分を大事にできるのは自分しかいないんです。私のことを本当に守れるのは私しかいないんだ…そんなことを度々考えるようになった頃が、変化の始まりだったのかも知れません。
その頃すでに40歳過ぎ。なんて時間がかかったんだろう…
結婚後、住んだ環境で自分を失う
義実家とのハードすぎるお付き合い
結婚後の住まいも完全に「相手ファースト」な環境でした。
夫の両親が義実家近くに見つけた土地に、言われるままに家を建てました。
そこは夫親族が集まって住んでいる、東京の下町。夫の家族はどんなことも「みんなで」動くのが大好きな人たちで、私にはとても苦痛な環境でした。だって、そこにいるたくさんの人の顔色を見て、誰に何て言ったら何がどうなるかを常に考えながら、うまくいかなくて落ち込む日々なんです。
うまく行くための方法は自分を押し殺すこと。それでも複数人を相手に、みんなの希望を叶える方法なんてありません。
しかも相手は嫁いだ先の親族一同。いま考えるとゾッとします(;▽;)
それでもがんばりました。合わせて合わせて合わせ尽くす、優しいお嫁さんをしました。心はどんどん疲弊していきました。
隣人が神経質すぎて恐怖の中で暮らす日々
苦難はそれだけではありませんでした。
お隣に住む女性が、最大のストレス源になっていったのです。
始まりは多分、やっかみ。まだ若い私たち夫婦が家を新築し、駐車場代を稼ぐために義父の車をうちの駐車場に停めてもらったことで勘違いされました。車が高級外車だったのです。
下町で、古びた中古の家を買ったまま暮らしているお隣の目には、なんて贅沢な人たちなのかと映ったかもしれません。家のローンを抱え火の車になっている我が家の内情などわかるわけがないですから。かといって勘違いが晴らせるような道もありませんでした。
ちょっと何か気に入らないことがあると大騒ぎでチャイムが鳴り、乱暴な口調で責め立てられました。
いつも窓から外を見張っているその女性、誰がいつ何をしているのかを監視しているかのようでした。
家の中にいても窓越しに何度も怒鳴られ、私は精神を病む手前だったと思います。まだ小さかった子どもたちは歌も歌いたいしキャッキャ言って遊びたい。でもそんな子どもたちにも声を潜めて物音立てずに暮らすようにと、神経を張り詰めた毎日でした。
お隣からの苦情に、初めは一つ一つ丁寧に対応していました。一つ解決するとまた次の苦情。やってもやっても怒られるし、外の掃除をする隣人が我が家の前へゴミを掃いているところも目撃しました。嫌われているのは明らかでした。
苦情も行動もエスカレートしていくのを感じましたが、それも私が相手に100%合わせてしまったことが引き寄せた展開だったのだろうと今は思います。
ある時、もう無理と思ってから、苦情に応えることをやめました。すると、それまでのようにあからさまに文句をぶつけてくることが減ったのです。
そうはいっても玄関先で顔を合わせるだけでもストレス。隣にいると思うだけでひっそりと存在を消して暮らし、おつかいから帰宅するときはいつも心臓がドキドキして止まりませんでした。
我慢すること15年、転機が訪れる
転機は突然やってくる
そんな大きなストレスを抱えて暮らすこと15年。ローンもまだまだ残っていて、身動き取れないまま我慢の日々。
ある日突然、父が亡くなりました。両親は離婚していたので、相続や整理は私と弟がすることに。
父の住んでいた実家は誰かが相続してなんとかしないとなりません。弟も私もお互い荷が重く、1年放置した結果、私が家を相続しました。
実家に対してトラウマがあった私…。
自分に自信がないから自分を出せず、周りに合わせることで好意を持ってもらうという生き方をしてきた私の源は、生まれ育った家庭にありました。
「相手ファーストな私」に育ったあの場所を引き継いでしまったのです。初めはとても重荷でした。
思いつきが自分ファーストの始まりになった
ところが。
結婚してから実家を避けるように暮らしてきた私が…ある日ふと、そこに住もうかと思い立ったのです。
それは本当に無意識に、フワッと湧いた考えでした。
誰かに貸すより自分がそこに住めば、いま抱えている私の問題も解決するんじゃないか…?
抱えている問題はいくつもありました。
子どもが大きくなって手狭になった家。
ローン返済の負担。
自分の空間を確保したい。
なによりお隣と義実家から離れられる…。
迷ったのはほんの数日。実家をリフォームして引っ越そう!と決めました。
家族の意向ももちろん確認しましたが、あの時の私はまさに「自分ファースト」の入り口に立って、ストレートに自分の考えをみんなに伝えていたはず。
そこに住もう!と思い立ったのが2019年6月。
それから一年もしない2020年3月に、元実家である今の家で暮らし始めました。
世の中はちょうど新型コロナが広まり始め、目に見えぬ恐怖に呑み込まれる直前のタイミングに、リフォームと引越しが完了しました。
引っ越しを決めた事、そこからの家の売買、リフォームの全容、結果的にすべて「自分ファースト」で進めてきました。でもその時はまだ「自分ファースト」なんて言葉も知らず、そんな意識もなかったのです。ただどこかで「今回は折れないぞ」という思いがあったことだけは感じていました。
今の私と、ブログで伝えたいこと
私について
2021年現在、45歳の卯年。
家族は夫と年子の娘二人(高校生)、ミニチュアダックスの男の子(11歳)と女の子(2歳)、白文鳥の女の子(4歳)。
東京都内の住宅街の端っこに住んでいます。
結婚後は何の縁もない江戸川区に住み、少しして夫の実家そばへマイホームを建てて転居。
その後、私が実家を相続したためマイホームを売却し、実家をリフォームして転居し今に至ります。
ついこの前までフルタイムでダブルワークをしていましたが、現在は仕事を整理して、週3程度の非常勤で保育事務をしています。
どうしてこのブログを始めたのか
私のブログ歴は5年ちょっと。アメブロで2つ、ブログを運営してきました。
記録をつけるのが好きなのに、なぜか日記は面倒で続かない…でもブログだと文章を書くのが楽しくて、日々の記録を残しながら思考整理の場にしてきました。
そこからちょっと飛び出してみて、新しい何かができないか?と思って始めたのがこのブログです。
自分で0から作ってみたい、自分の意思で選んで作り上げる楽しさを味わいたいと思ったのは、大変ながらも自分で選ぶという作業を頑張ったリフォームが楽しかったからかも(*´꒳`*)
こんな自分でも大切に思いながら行動できるようになるために、ここに至るまでの日々を振り返りつつ、「自分ファースト」をときどき意識して暮らしている今の日々を書いていきたいと思っています。
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